秋の味覚、冬の触覚
iPhoneのメモ帳に書いてあった。
2013/9/4
秋の味覚
夏の聴覚
ほおおと思った。
過去の自分やるじゃないか。
たまに昔の自分が今の自分にいいパスをわたしてくれるから、
メモとか日記が好きだ。
秋の味覚から清少納言的に考えると、どうなるかね。
やってみよう。
夏はセミで、聴覚にしたんだな。ああ風鈴の音とかもいいしね。
水音で涼しくなるし。いいじゃない。
じゃあ春はなんだ。
ていうかなんだ。五感の残りはなんだ?
味覚聴覚、視覚、触覚、嗅覚か。
夏を聴覚、秋を味覚にすると、春はなんだ?
視覚か嗅覚か触覚…
んー、桜のイメージで視覚にするか。
つくしとかたけのことかね、そういう芽吹きもあるし。
なんかいい感じじゃないかこれ。美しいぞ。春の視覚。
そしたら冬は。
あ、触覚。うん、触覚だ。これだ。
寒くて自販機で思わず買ってしまったカイロがわりの缶コーヒーとか、
首縮めて肩こわばらせて急いで帰ってきて、こたつに足つっこんで暖かくなるのを待つときとか、
ほらもっと素敵な感じで言うと、繋いだ手のあたたかさとか!人肌!人肌!
そういうさ、温度に敏感になるのはやっぱり冬だから。
いいね、冬。
いま私は、こうやってキーボードうつたびに、指先の血流が悪くなっていることをいちいち思い知らされたり、我がMacbookAirの冷ややかに美しいアルミボディが冬には手首周辺の熱を奪いとる凶器に変貌することに気づいたりしてるだけだけどね…
うめざわ
※まじでさ、キーボードさわるとさ、手首から5cmくらいのとこが冷たくて冷たくて。服のうえからでも冷たさが伝わってくるもんなこれ