やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

いつものあなた、しか見えないけれど

人は、外からは見えないたっくさんの非日常を抱えて生きてるんやなあと思う。

近くに、北欧にひとりで1週間旅行してきた人がいるのだけど、べつに彼女はなにも言わないし、行くまえとまったく変わらずたんたんと生活している。
けど、2、3日ふつうに挨拶だけしかしなくて、今日ちらっと「海外どうやった?」って水をむけたら、めっちゃ笑顔で「超楽しかった!!」って返してくれる。写真いっぱい見せてくれる。見せないだけでね、あるんだよな、たくさん。
 
自分と誰かが同じ空間同じ場所にいる時間なんて、ほんとは、その人の人生からしたらごくわずかのものなんだけど、自分からしたら、一緒にいる時間がその人のすべてみたいに思えちゃう。
 
古いつきあいの友だちがスーツ着て働いている姿は普段見ることないし、毎日顔合わせる同僚や上司が、部屋着でだらけてる姿なんてまず想像しない。近しい人であっても、ある方向からの一部分しか見ていない。
 
その最たるものが親だな。だって、自分の親が、ひとりのとき家以外の場所で何をしているのか見たことないでしょう。仕事してることもあるだろうし、友だちと飲んでることもあるだろうけど。その姿は、のぞき見しないかぎり、見ることがない。さらにいえば、自分が生まれる前の両親とか、ぜったいに出会えない。自分の親ではない親に会うことはできないわけだ。接点の小ささに愕然とする。自分が知ってる「日常」の姿なんて、ごくごくわずか。
 
人との関係、円のイメージでとらえたらいいのかもしれない。自分も誰かも、それぞれひとつの円で、その誰かとは、ただ円周上の2点で交わってるだけなんだ。
 
交点の場所によっては、重なった面積が大きい人とそうじゃない人がいるだろう。たくさん重なってると、その人のことよく知ってる!って思うかもしれない。けれど、円がぴったり重なることはまずないわ。おんなじ人間じゃないから。あと、親の円が大きくて、子どもの円を覆い尽くす、ってこともありえない。親が見てない子どもの時間、ぜったいにあるもの。
 
自分も他人もひとつの円で、交わる点があるだけなんだ。
そう思うと、ちょっと愉快だ。どんなにつまらなく思える人だって、その点でだけ存在しているわけじゃないからさ。ぜんぶの円を想像すると楽しいし、それを確かめてみると、たぶん想像以上の円が見えてくる。
 
うめざわ
デンマークの王立図書館がかっこよすぎた。こんな外観なのに、古い建物とつながってるらしくて、中はめっちゃクラシック。ハリーポッターの世界の図書館みたいな。

北欧フィーカ|デンマーク・コペンハーゲンの旅|大切な本をしまった宝石箱。王立図書館“ブラック・ダイアモンド”。|Scandinavian fika.