えらくないお弁当
誰かと居酒屋行ったときに、メニュー見ながら「たこわさ…?」とかおずおずと唱えると、「いいねー」がこだましてくるけれど、あれと似たようなことは他にもあって、「お弁当作ってます」って言えば、ひゃくぱー「えらーい!」が返ってきます。こだまでしょうか、いいえあいづち。
自炊は無条件に褒められる。それはきっと、健康のことを考えているとか経済的にしっかりしているとか忙しいのに楽をしていないとか、そういう妙な理由から「いいこと」にされてるんだろうけど、お弁当作る理由はそれだけのはずがないよねー。
私はお昼にお弁当食べることが多いけれど、それはそっちのが楽だからでだな。こう、昼休みになって、さあお腹すいたで、何食べよって考えるのが嫌なんですわ。なんか買う?店で食べる?どこで?何を? あのお店行ってみたいけどやってなかったらどうしよう、あそこ安いけど出てくるの遅いしなあとか、混んでたらやだなーとかいろいろ考えることがあって苦痛なのだ。
だからそこから逃れるために、いつも変わらずお弁当。中身も変わりばえしない。冷凍ご飯をチンして白ごまふったやつと、冷蔵庫にあるおかずを適当に詰めたもの。(今日は手羽元煮たのと、ブロッコリーと卵をマヨネーズであえたのと、しいたけとノリをオイスターソースで炒めたの)
節約したいから!とか、手作りしたいから!とかそういう積極的な理由じゃなくて、買うのも外食も面倒だから、っていう消極的選択の果てのお弁当もある。そして手羽元煮たの、うまい。
うめざわ
※あと、かばんのなかに一食分入ってるっていうのもなんかうれしい。だって、パンとかおにぎりじゃなくて、おかず付きのちゃんとした食事を持ち運んでるってロマンある。
今日はおやすみ
かなしいことが多くて笑う。
うめざわ
生半可にすんな
予備校時代のね、英語の先生に言われてたことが今でも残っている。ピンクのチョークの粉にまみれたテキストを二つ折りにして、いつもおなじブルージーンズ履いて、デニムシャツをインして、これ以上速くこの引き戸をあける人はいないわと誰もが認めるスピードで灰色のドアを引いて、轟音ののちに入室、右目をしぱしぱさせて「……おたくらさあ」から毎度の授業始めるS先生。(二人称が「おたくら」の人、私はあの先生しか知らない)
「おたくらさあ、大学とか入ってもな、ぜっっっったいに英語教えるなよ」って。
理屈としてはたぶんこう。「オレの教え方で英語がわかった気になるだろう。けれど、それはオレの膨大な知識量からしぼりだしたエッセンスでしかない。オレはタイトルに「英語」って入ってる本は全部買って読んでるんだ。そのオレのエッセンスだけを飲んで、これがすべてだと思うな。ぜんぶわかったふりして、後輩に教えるな。生半可な知識をまきちらすな」
当時はひどいこと言うなあと思ってたけど、正しかったなあ。今になって思う。誰かに働きかけたりするなら、真剣にしないといけないわ。ちょっとやってみたいからーっていうふんわりとした理由で、他人の人生に関わるのは失礼なことだなあと思った。生兵法は大怪我のもと。自分にも、他人にも。
うめざわ
※当時は予備校の先生の評判とか、インターネット掲示板ミルクカフェで見てましたねえ……ミルクカフェ……
はーるがきーたー
寒さの底、うったね。もう冬は終わりだ。
どんどんいい時期になるなあ。
空気がきっぱりしてて、日差しはあったかくって、空が青くて。
梅もさ、咲き始めてさ。梅が咲いたらもう春だ。
うめざわ
※おひな祭りだものねー
ダイビング松ぼっくり
えー、昨日はにんじんが冷蔵庫で凍っていたわけですが、今日は自転車走行中、カゴに松ぼっくりがダイブ。
駅までの道のり、自転車で颯爽と駆けているととつぜんバンッ。止まろうとしたら、前カゴのなかに松ぼっくり。しかもデカイの。こぶし大以上。あのねえ、今後みなさんの目の前にとつぜん松ぼっくりが出現することあるかもしれないからお伝えしておくと、えっと、こわい。不気味です。あんな形見ないじゃないふつう。ていうか、瞬間的に現れた物体はなんでもこわいぞ。気味が悪くて、速攻地面に捨てて駅に向かった。で、帰り道、地面見たら、そいつまだそこにいた。見上げたら、おっきい松の木。
なにかの予言かねこれ。にんじんが凍り、松ぼっくりが降ったとき、そのもの金色の野に降り立つべしみたいな。なんだろう、とりあえず青い服用意して、虫としゃべる練習でもしたらいいのかな。
うめざわ
※もうちょっと懐かしい感じさえあるパイナポー、これもともと松ぼっくりのことだったらしい。のちのち、松ぼっくりに似てる果物がパイナポーと呼ばれるようになったそうな。