ありがとう過剰
ありがとうって言わないと断れない。
たとえば、あさっての方向からお誘いがきて、興味ねえんじゃくそやろう返信するだけありがたいと思いやがれやこんちくしょうって思ってたとしても、メールくださりうれしいですお声がけいただけて光栄ですあなたさまのことはとっても素晴らしく思っているのですええそうです世界一でございますけれど、ってえんえんポジティブな言葉を積んで置かないと、断れない。
あーやだ。自分がいやだ。イヤだからイヤです、ってもうそれだけでいいはずなのに、言えない。断わりたいけど、ありがとうをふりまくのが面倒だから、返事をせず連絡をスルーし続けることになる。で、返事してないのを気にし続ける。不健康。
あと同時に、ネガティブなこと言われたときに、ありがとうを連発するのも悪い癖だ。
言いにくいことなのに言ってくれてありがとうね、とか、聞けてよかったありがとうとか。そんなに言わんでもええのにってくらい言う。それは、「耳の痛いご指摘ありましたが、私はえらいので怒ったりせず聞きます。むしろ、ありがたがっちゃうくらい、人間の器おっきいんだもんね、だからぜんぜん気にしてないもんね!」って主張したいからです。私は。あー、いやだ。
ありがとう、多すぎる。もうそんなにいらないわ。
うめざわ
※感謝抜きコミュニケーション強化月間
えらくないお弁当
誰かと居酒屋行ったときに、メニュー見ながら「たこわさ…?」とかおずおずと唱えると、「いいねー」がこだましてくるけれど、あれと似たようなことは他にもあって、「お弁当作ってます」って言えば、ひゃくぱー「えらーい!」が返ってきます。こだまでしょうか、いいえあいづち。
自炊は無条件に褒められる。それはきっと、健康のことを考えているとか経済的にしっかりしているとか忙しいのに楽をしていないとか、そういう妙な理由から「いいこと」にされてるんだろうけど、お弁当作る理由はそれだけのはずがないよねー。
私はお昼にお弁当食べることが多いけれど、それはそっちのが楽だからでだな。こう、昼休みになって、さあお腹すいたで、何食べよって考えるのが嫌なんですわ。なんか買う?店で食べる?どこで?何を? あのお店行ってみたいけどやってなかったらどうしよう、あそこ安いけど出てくるの遅いしなあとか、混んでたらやだなーとかいろいろ考えることがあって苦痛なのだ。
だからそこから逃れるために、いつも変わらずお弁当。中身も変わりばえしない。冷凍ご飯をチンして白ごまふったやつと、冷蔵庫にあるおかずを適当に詰めたもの。(今日は手羽元煮たのと、ブロッコリーと卵をマヨネーズであえたのと、しいたけとノリをオイスターソースで炒めたの)
節約したいから!とか、手作りしたいから!とかそういう積極的な理由じゃなくて、買うのも外食も面倒だから、っていう消極的選択の果てのお弁当もある。そして手羽元煮たの、うまい。
うめざわ
※あと、かばんのなかに一食分入ってるっていうのもなんかうれしい。だって、パンとかおにぎりじゃなくて、おかず付きのちゃんとした食事を持ち運んでるってロマンある。
今日はおやすみ
かなしいことが多くて笑う。
うめざわ
生半可にすんな
予備校時代のね、英語の先生に言われてたことが今でも残っている。ピンクのチョークの粉にまみれたテキストを二つ折りにして、いつもおなじブルージーンズ履いて、デニムシャツをインして、これ以上速くこの引き戸をあける人はいないわと誰もが認めるスピードで灰色のドアを引いて、轟音ののちに入室、右目をしぱしぱさせて「……おたくらさあ」から毎度の授業始めるS先生。(二人称が「おたくら」の人、私はあの先生しか知らない)
「おたくらさあ、大学とか入ってもな、ぜっっっったいに英語教えるなよ」って。
理屈としてはたぶんこう。「オレの教え方で英語がわかった気になるだろう。けれど、それはオレの膨大な知識量からしぼりだしたエッセンスでしかない。オレはタイトルに「英語」って入ってる本は全部買って読んでるんだ。そのオレのエッセンスだけを飲んで、これがすべてだと思うな。ぜんぶわかったふりして、後輩に教えるな。生半可な知識をまきちらすな」
当時はひどいこと言うなあと思ってたけど、正しかったなあ。今になって思う。誰かに働きかけたりするなら、真剣にしないといけないわ。ちょっとやってみたいからーっていうふんわりとした理由で、他人の人生に関わるのは失礼なことだなあと思った。生兵法は大怪我のもと。自分にも、他人にも。
うめざわ
※当時は予備校の先生の評判とか、インターネット掲示板ミルクカフェで見てましたねえ……ミルクカフェ……
はーるがきーたー
寒さの底、うったね。もう冬は終わりだ。
どんどんいい時期になるなあ。
空気がきっぱりしてて、日差しはあったかくって、空が青くて。
梅もさ、咲き始めてさ。梅が咲いたらもう春だ。
うめざわ
※おひな祭りだものねー