路上じょりじょりろじょりじょり
路上は、異文化とすれちがう場所でもある。(格言風)
駅から出てきたスーツの男性。
あごに手やってるな、と思って見ていたら、それは電動シェーバーでした。
左手でシェーバーをあごにあて、右の手のひらで刃の部分を隠す。
すれちがうと、ウィーンと軽い音がしました。
うめざわ
※もしかして電車のなかでも剃ってたんだろうか。
ねんどまつ?
えー、ザ年度末。
……と思ったら、3月が年度末になるのは、「会計年度」と「学校年度」くらいで、ほかには「醸造年度(7月はじまり)」「綿花年度(8月)」「いも年度(9月)」「大豆年度(10月)」などなどたくさんのなんちゃら年度があることを知る。
言い直そう。えー、ザ・会計年度(もしくは学校年度)末。
うめざわ
※いっぱいの年度がみられるよ。ねんどねんど。年度 - Wikipedia
馬鹿にするなら生産的に
どうせ人を馬鹿にするならば、生産的にやろうぜ、と思うのだ。
自分の価値観からはずれている人を軽蔑するのはとっても簡単。「なんであの人あんなことすんの!まじ意味わからん。ありえない」って、ただ馬鹿にする。それだと、こちらは怒ったりイライラすることしかできない。あっちは一ミリも変わらないのにね。こっちが感情の浪費をするだけで、まったく無駄じゃんそれ。
なので、もうちょい生産性のある侮蔑の方法を選びたい。「まじ意味わからん。ありえない」までは同じでいいんだけど、そこでもう一声。そのあとに、「なんでだ?」を追加しよう。
「なんであの人、ああなんだ?」を考えてみる。ほら、一寸の虫にも五分の魂、あるみたいなのでそれを想像する。あの不潔で卑しい憎っくきゴ○ブリにもゴブの魂があるわけだ。略してゴブたま。そのゴブたまは何を喜びとして、何を求めているのか、一瞬でも思いを巡らす。
そうするほうがこっちの立腹度がちょいと下がるんだ。ああ、あんな人にもしょっぼい理由があるのねー、って思えると、怒りよりも呆れの度合いが増える。そして自分の許容範囲がちびっとだけ大きくなった気がして、そのことで自分えらいなあとも褒められる。ゴブたま想像、訓練中です。
うめざわ
※ハクモクレンが散りはじめている。あのすこし黄みがかった白い色、やっぱりふしぎ。白い花なのに、清潔さとか真新しさよりもノスタルジーが強い。
真のころしや
公園で叫ぶ少年。
「それを言うなら、『ロシアのころしや』やろ!」
「この7年間、おれがどれだけの虫ころしてきたか。おれ『虫のころしや』っていわれてるんや」
殺し屋って言いたかったんだね。それにロシアと虫をつけるとは、ぼうや、センスがいいな。
ロシアのほうはとってもリズミカル。
♪あロシアのころしや おそろしや♪(あよいしょ!)
よれよれの浴衣でよっぱらったおっさんがいい気分で手拍子してるイメージですね。
虫も、殺戮対象がずいぶんとハンディでつつましい。
さらに言えばころしや歴自称7年だけど、きっとそれ経歴詐称。せいぜい2、3年でしょ、ね、少年。
ああかわいらしいころしやさんだこと。
……ハッ! ま、まさか、「殺し屋」をかわいらしく、つまり殺し屋のアイデンティティである恐ろしさを完全に殺して、自分の身の丈にあった「ころしや」へと変えてみせたあの少年こそが、真の殺し屋……うっ(忍び寄るころしやに撃たれて絶命)
うめざわ
一輪車とヨガマットの女たち
長い髪をなびかせて、颯爽と歩道を駆けていく女性2人組。ひとりの肩にはヨガマット。なんてアーバン。
さすがに若々しかったわ。だって一輪車乗ってたし。もうぴっちぴちの年齢1ケタ代の方々だったわ。ピンクと水色の一輪車までまぶしい。(ヨガマットはえんじ色。ちょっとおとな)お二人はなかよくしゃべりながら駅の方に向かっていきました。
うめざわ
※一輪車って小学生女子限定の乗り物だよねえ。乗り物っつうかおもちゃか。久しぶりにっつうかもう15年ぶりとかになるんだけど、乗ってみたい。けど、どこでどうすれば。