やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

雷鳴は腹の虫

雷鳴が、腹の虫に聞こえることがある。わりと遠いところの音だといい感じに、
腹減りのときのぐぅ、に似ている。ちょっとかわいい。

泣きじゃりながら暴れて、雷投げつけるわ涙やツバやら飛ばしてるのに、お腹はぐう。お空のわんぱく坊やは何食べる?

 

うめざわ

※九州の豪雨、そんな呑気なこと言ってられないんだろうけれど。

無理なく身体を使いたい

「いのちの主人公、からだの責任者」という言葉を見る。ふかく頷く。そうそう、自分の身体は自分自身というよりも、乗り物っていう感じがするな。いまはそれの扱い方を学んでいる途中だわ。たぶん、それぞれ使用法がすこしずつ異なるはず。1日最低8時間、週休2日で40年間椅子に座りつづけられる身体がどれだけあるのか知らないけれど、無理だと思ったら別の道を模索するほうがいいんじゃないかね。

 

うめざわ

※自分を規格にあわせていくのはけっこう大変

あなたも、誰かの「いいなあ」なんだ

たまにブログを読み返す。そのたびに、今の私が読みたいものがけっこうあって、ああやっぱり自分に向けて書いてるよなあと実感する。たとえばこれ。
2014-02-13 輪が見える - やどかり

今でも、自分の人たちが輪になって手を繋いでいるのが見えることはある。みんな仲が良さそうで楽しそうで、でも円が完結してるから私はそこに加われない。そんな瞬間もあるけれど、もうわかってきた。

みんなが喜んで手を繋いでいるわけでもないし、大きい輪の一員になっているから安心しているわけでもないし、輪の外にも、輪の内側にも、ひとりふたりで踊っている人もいる。そして3年経ってわかったのは、わりと、ほとんどみんな、他の人を見て「いいなあ」と思ってるってことだ。

 

うめざわ

※ヘチマ、初購入。はてさて。

今日はおやすみほら台風だし

めしを食うためだけに生きてるなんて嗚呼なんて虚しい人生、とうそぶいていたころもあったけれど、なんか今はおいしいごはんを食べるためそのためだけに生きるってそれだけで十分すぎるくらいすばらしい、と思っている。

人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。(太宰治人間失格青空文庫

うめざわ

※たいふーーーーん

値札を下げた、いっぴきの人間

首から下げた値札を自慢されることがある。ぎょっとして、うろたえる。

いや、君が年間でいくら稼いでいるか、稼ぐというかもらっている額なんだろうけれど、友だちとして関わるうえではその情報いらないよ。

べつに私は君の労働力を買おうとしてるわけじゃない。ふつうにいっしょにごはんを食べたいだけなんだ。

君は資本主義の労働市場で、いかに自分を高く売るかをいつも考えているでしょう。高く売れる人が強くてえらい、と思ってるわけでしょう。

いや、うん、まあ、そういう場所があるのはわかる。けど、今はさ、ごはん食べてるんだから、いっぴきの人間として、おいしくごはん食べるだけでそれで十分じゃないかな。ほら、冷奴まだあるよ。

うめざわ

※なんであれ、値札を誇示するのは上品でないね

見えないものに

きのう、夏越の祓に参加してきた。ちかくの神社でやってたの。宮司さんが祝詞をあげて、我々は茅の輪をくぐって、ひとがたに汚れをうつして、紙ふぶきで身を清めて。神さまはどこにおわしますのやらわからずとも、ああやって神さまに祈る。見えないけれど、あると信じるものはある。また、「見えないものに目をそそぐ」という一節を思いだしたところです。

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」
(コリントの信徒への手紙二 4章16-18節)

うめざわ

※なんでこんなにしめっぽいかというと、それは空気がしめっているからです。あちい。