幸せは振れ幅なんじゃないのかなあ
幸せってさあ、たぶん振れ幅のことで、
楽なのが幸せで、痛いのが不幸ってことじゃないぜ。ほんとに。
なんかこう、たんに楽な人が幸せな人だって思うと、ややこしいことになると思うんだけどな。
たとえばさあ、今体調をすごく崩してたら、病気しらずで元気に動きまわってる人がすごくうらやましくみえるけど、それは自分が今-50だから、0の人がうらやましく見えるだけでだな。
元気な人からしたら、それがデフォルトの0なんだから、幸せでも不幸でもないわけさ。あたりまえじゃん。
でもだなあ、元気な人から病弱な人を見て、「この人-50だから不幸だ」って思うのは違うぜ。-50を知ってるってことは、0に戻るだけで+50になるってことだ。で、その幅が、幸せの度合いだと思うのよね。
-100を知ってたら、-50でも幸せだと感じられるんじゃないかなと。それは不幸なことじゃあないよ。
たとえば、今つらい思いしてるならさあ、それは絶対不幸じゃなくて、今マイナスに振れておくと、人よりプラスが大きくなるからより幸せだと思えるわって、そう思うのはたぶん間違ってない。
だからさあ、つらい境遇にある人を不幸だねって憐れむのは、ぜったい違うと思うんだよなあ。
うめざわ
※本屋で立ち読みした『ノーモア立川明日香』がわりと衝撃的でだな。児童養護施設で育って、政治家になろうとした「美人すぎる市議」の自伝っぽいもの。要は孤児院で育った女性がどういう半生を送ったかってことなんだけど、合間合間に挟まってるインタビューが、愛されることを知らないこの人は云々みたいなのが、よくわかんないけど私にはすごく不愉快で、すっごい気になるんだけど買えない。うぐ。