いつか、必ず、終わるんだけど
そこにあるのがあたりまえ、は残酷だわ。
「そうそうこの景色なんだよ、もう10年ぶりかあ」とか、
「あーあの頃思い出すわ、え、あれ中1のとき!?」とか、
何年も何十年も変わらずそこにあり続けてくれるもの、
みんなそれぞれがもっていると思うんだ。
学校の校舎、たまに帰る実家近辺のさびれた景色、あのとき通いつめたお店。
それを前にすると、
「なつかしいなあ、ぜんぜん変わってないわ!」
「いやあ、互い年取ったねえ」
って自然と懐かしむ場所。または人。
そういうところには、昔の自分のかけらが残ってるんだよね。
あのときの私を覚えててくれる感じ。
自分にとっては、今の自分も昔の自分も大切なものだから、
あのときの自分が残ってるところは、すごく愛おしいものなんだけど。
それはずっとあり続けてくれるもんじゃあないんだ。
校舎だって生徒がいなけりゃ廃墟だし、さびれた風景だって誰かが掃除してるし、お店だって人が来なけりゃつぶれちゃう。
あたりまえの光景は誰かが毎日守ってくれてるんだ。
だから、その誰かがいなくなったら、それはなくなっちゃうんだ。
その誰かだって、私と同じ人間なんだから、食べるためにお金もいるし、病気になったら働けない。いつまでもそこにいてくれるわけじゃないんだ。
あたりまえだと思ってたんだけどね、そんなことはないんだよ。
ぷつんと、終わるのです。
うめざわ
※学生時代とってもお世話になったお店が、4月末で閉店。卒業してからほとんど行ってなかったくせに、なくなると聞けば飛んでいく。このお店がない石橋なんて考えられなかったのに。
Bar葛Katsuraさん、いままで本当にありがとうございました。