やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

好きなもんより似合うもん

 ほんと、最近思うのがさ、好きなもんと似合うもんは違うってことだ。

で、好きなもんを選びたいんだけど、

たぶん、似合うもんをとっといたほうが、自分のためになる。

 

ほんとうに好きなんじゃなくて、好きだって思い込んでる場合があるのよね。

ビールをおいしいと思わない自分はこどもなんじゃないか、いやいやこれはおいしいもんなんだおいしいもんなんだ…って言い聞かせる感じ。

自分じゃ気付いてない場合もあるけど。

 

だからさ、よくわかんなくなっちゃったらさ、自分が好きなもんは何かって、自分のなか探すんじゃなくて、

それ似合うねって言われるのを選びとっていったらいいんじゃないかなあと思う。

たとえそれが、あまり好きだと思えないものでもね。

 

なんていうか、自分の判断力とかを過大評価しないほうがいいんだわたぶん。

自分の目は、自分に都合のいいようにくもってる。

自分じゃない何かのほうが、邪念がない。

 

うまく言えないのだけど、船はね、流れにのってれば良いのだよ。

無理してさかのぼる必要はないんだたぶん。

上に行きたかろうが、下に流れてるならそっち行ったらよいのだたぶん。

 

てことが、向田邦子『女の人差し指』の「肴」に書いてあった気がして。

長いけど引用して終わります。

 

(略)

  友人に料亭の女あるじがいる。

 その人が客の一人である某大作家の魚の食べっぷりを絶賛したことがあった。

「食べ方が実に男らしいのよ。ブリなんかでも、パクッパクッと三口ぐらいで食べてしまうのよ」

 ブリは高価な魚である。惜しみ惜しみ食べる私たちとは雲泥の差だなと思いながら、そのかたの、ひ弱な体つきや美文調の文体と、三口で豪快に食べるブリが、どうしても一緒にならなかった。

 そのかたは笑い方も、ハッハッハと豪快そのものであるという。

 なんだか無理をしておいでのような気がした。

 男は、どんなしぐさをしても、男なのだ。身をほじくり返し、魚を丁寧に食べようと、ウフフと笑おうと、男に生まれついたのなら男じゃないか。

 男に生まれているのに、更にわざわざ、男らしく振舞わなくてもいいのになあ、と思っていた。

 その方が市ヶ谷で、女には絶対に出来ない、極めて男らしい亡くなり方をしたとき、私は、豪快に召し上がったらしい魚のこと、笑い方のことが頭に浮かんだ。

(略)

向田邦子『女の人差し指』文藝春秋より引用) 

 

うめざわ

※自然体だねってのが一番の褒め言葉だと思うのだ