劣等感ってほとんど勘違い
もうさ、ほんとにさ、
自分劣ってるって思うとこから出てくる恥ずかしいとか自分嫌いとかさ、
そういう負の感情は、まったくもって全部幻想なんだよ!ほんとに!
だからそんなんで苦しまんでほしいって、もう、そればっかり思う。
あのね、大前提としてね、
物事は、それでしかないわけ。それでしかない。
評価とか、順位、意味は、もともとついてたものじゃないわけ。いい?
赤は赤だし、青は青だし。それだけ。
色は、色合いと明るさ(明度)と鮮やかさ(彩度)の3つ要素で考えるようけど、
鮮やかな色が良くて、暗っぽい色が悪いとか、そんなんはないじゃない。
何かの文脈で、赤は禁止とかさ、青は平和の色とか、勝手に意味がつけられちゃうこともあるけど、それはもともとのもんじゃないわけ。
鮮やかな赤に近い色であるほど、価値の高い色だとか、そういうことはないじゃない。
で、人もほんとに同じでさあ、劣等感の原因っていろいろあるんだけどさあ、
それはさあ、茶色くんがさあ、「自分は、明るくもないし、黒っぽい色だからだめだ」って思ってるのといっしょでさあ。いいとか悪いとか関係ないわけ。
ただたんに、茶色であるってだけなんだって。
隣にいるのが鮮やかな青くんで、かっこよく見えんのかもしれないけどさ、確かに茶色は青より、確かに明度も彩度も低い色よ。それは事実。
でも、それだから劣ってるっていう評価に直結しちゃうのは、間違いなわけさ。
事実と評価はまったく別。
もつなら、いい悪いに結びつかない、フラットな劣等感をもとうよ。
ああもう、ほんと、うまくいえないけどさ、色に優劣がないのと同じように、あなたはどうであろうと、人より劣ってるわけでも、もちろん優れてるわけでもない。
これだから私は劣ってるって思うことはたくさんあるんだろうけど、
たとえば、友だちいないとか、太ってるとか、不細工だとか、成績悪いとか、運動できないとか、コミュ障とか、貧乏とか、モテないとか、振られたとか、不器用だとか、音痴だとか、毛深いとか、ハゲだとか、いじめられたとか、いじめてるとか、部屋が汚いとか、おもしろくないとか、内定とれないとか、仕事できないとか、障害があるとか、肌がきたないとか、性格悪いとか、嫌われてるとか、うつだとか、アル中だとか、ゲイだとか、レズだとか、ニートだとか、性犯罪にあったとか、ひきこもりだとか、遅刻癖があるとか、知ったかぶりするとか、食べ方きたないとか、人の話きかないとか、わがままだとか、しゃべれないとか、すごくないとか、つまんないとか、なんでもいいけど、
そういうの、まじで関係ないから!!!!!
いいとか、悪いとかじゃないわけ。ただ、そうであるだけなんだって。ほんと。
あなたがどうであろうとさ、あなたの本来の価値にはまったく関係ないわけ。
だから恥ずかしいことじゃないんだよほんとうは。
ほんと。ほんとに。
そういう、ほんとに恥ずかしいと思っちゃってる悩みは、コンプレックスというのでしょう。そういうのは、触れられるのもやだから、相談なんか誰にもできないから、余計ずーっと悩むんだろうけどね。
あなたは別に劣ってるわけじゃないから、恥ずかしいことはないんだけどね。
たとえば、私の場合はさあ、小学校から中学にかけて、学校の夏休みの宿題とかをさ、母上がぜんぶやっちゃってたのよねー。
それで賞とって先生に褒められたりするっていうのが、もう、まじで死ぬほど嫌だったけど、母が宿題やらなきゃいけないくらい私は駄目なんだ、私は人間として凄まじい欠陥があるんじゃないかってずっと思ってしまってたから、そんなん言うなんて死ぬほど恥ずかしくて、つい最近まで誰にも言えなかったけど、まあそれこそ死ぬ気で人に言ってみたら、こういういわゆる毒親は相当数いて、私が別に特別に劣ってるわけでも、それによって欠陥人間になってしまったわけでもないなってやっと気づいたわけだ。ただ、そういうふうに育ったって、ほんとそれだけ。
なんていうかさー、ほんとにさー、人間のスペックの違いは、それはその人自身の価値とはまったくもって無関係なんだけど、そこを履き違えるとほんと本人もまわりもしんどいぜ。
うめざわ
※長くなった。ここらへんの正しい認識しようぜ系は高校生の私に言いたいシリーズだな。しかし、みんなが正しい自己肯定できたらどれだけ世の中平和になることか。